妄 想

妄想は苦しい
妄想は苦しい
妄想のメカニズム
妄想のメカニズム
世界を置き換える
世界を置き換える
雨も降るが虹も出る
雨も降るが虹も出る

参照

Gercia-Montes &Perez-Alvarez, Acceptance and commitment therapy of delusions, 2013.

妄想は周囲の人を狼狽させ苦しめますが、一番辛いのは本人かもしれません。なぜなら、その内容が苦しみをもたらすものであるばかりでなく、どんなにそれを否定する事実を指摘されても、妄想の方がより確かな現実にしか思えないからです。そこにはどのような心の仕組みがあるのでしょう。ACTでは妄想を全く正常な心の働きによるものであると説明します。


『DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル』では、妄想とは「対立する根拠に照らしても変えようとしない頑なな固い信念」(早坂訳)と定義されています。数年前までは妄想と普通の思い込みの違いはその程度の差にあると考えられていて、明確な線引きをすることはできませんでしたが、この定義では柔軟に考えを変えることのできない頑なさをその特徴としてとらえようとしています。問題はその頑なさがどこから来るのかです。

これについては十分な情報なしに決断してしまうバイアスや、曖昧さに耐えられない傾向が考えられてきました。また家族のメンバーが多い場合には妄想の発生率が少なく、逆に自分の活動をやめてしまうと高まるということも分かってきました。心配事やモチベーションも妄想に関係しているとも言われています。

しかしながら、これらは妄想を外から観察して分かってきたことであって、妄想がなぜ起こるのか、そのメカニズムを内側から説明したわけではありません。しかし2000年紀に入り、妄想には本人の「現実の自己」と「理想の自己」とのギャップを埋める機能があるということが確認され、更にACTの立場から「積極的な私的体験の回避」と定義されました。

「私的体験の回避」とは苦痛な感情や思考など本人しかわからない個人的な内的体験(私的体験)を回避する行動を差します。これが問題なのは、回避を何よりも優先させてしまうために、その苦痛の存在がより深刻な重要事項となってしまい、更に、生きがいを生み出す行動を取ることができなくなってしまうからです。通常は紛らわす・避ける・考え込む・依存するなどの苦痛体験を取り除くことに力が注がれるために「消極的」な体験の回避と言うこともできます。

これに対して妄想は新たな状態を加えることで元々の苦痛を回避していると考えられ、そのために「積極的」な体験の回避と呼ばれます。新たな状態とは、例えば、誇大妄想、被害妄想、悲愛妄想などで新しい世界を構築し、そこにある内容に関心を集中させることで、どうにもならないように思える苦しみを回避しようとします。つまり世界を置き換えるわけです。しかしこれでは、傷が痛いからと言って、もっとひどい傷をこしらえるようなものです。

この苦痛の回避戦略のさらに大きな問題点は、苦痛がもっと深刻になるばかりでなく、現実世界に対する感受性が乏しくなることにあります。現実世界には苦痛ももちろんありますが美しいものもあり喜ばしい出来事も起こります。雨も降るが、虹も出る。これが現実というものでえす。しかし苦痛を無くそうとするあまり、こうした良いものまでも失ってしまうとすれば、それはなんという悲劇でしょう。

希望は、メカニズムが分かってきたことで対処法が考え出されているということ。ACTではカウンセリングの手始めに、「創造的絶望」と呼ばれる介入を行うのですが、中でも特に「妄想への介入で最初にすべきこと」を押さえておく必要があります。